[從雪組一起奮鬥過來的] 和小小央+媽咪+狗狗

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挖天海古董順便挖到的和小小央跟媽咪的合照和往事:



下面素用OCR轉的文字(同樣一概不負責,有錯不要找偶吭!):

「やりたい事は沢山あるけれど、何を演っていてもその人の持つ温かさが滲み出るような舞台人になりたい」と諮る娘は、大阪市天王寺区で生まれ育つ。御両親と五歳逃いのお兄さまとの四人家族。小さい時からどちらかというとマイペース型で、おっとりとして手の掛からない子供だった。健康の為にクラシックバレエを習い、ピアノのレッスンにも通った。バレエは好きになったがピアノの練習の為にやめてしまう。高校生になると語学に興味を持つようになり、よく学びよく遊 んで過ごした。宝塚の舞台は小さい頃に観ていたが、興味を待たず、高校一年の時に友達に誘われて久し振りに観た時もいいなとは思ったが自分と結びつけることは無かった。ところがその二カ月後に又誘われて個別に行き、その帰り道には宝塚へ入ることを決めていた。娘から音楽学校を受したいと聞いたお母様は、学校の先生と一緒に猛反対で話を聞くこともなさらなかったが、半年以上頑張りけた娘はお母様のいらっしゃらない時にお父様を說得する。受にむけて レッスンに通っていた頃の緊張した日々が好きだった。音楽学校時代もマイペースで過ごす。

昭和六十三年『キス。ミー。ケイト』で初舞台。初舞台以来、優しい中にもシビアな目で舞台を観てくれると娘が語るお母様は「宝塚に夢を託して入った頃の気持ちを忘れずに、一生懸命頑張ってほしい」と仰います。

然後素用網上翻譯的魔倫看滴懂ㄟ日翻中文:
磋商「想成為很多有想做的事,不過,演在什麼那個人也有的暖象發放淒慘一樣的舞台人的」女兒,在大阪市天王寺區出生成長。
是跟父母、差了五歲的哥哥合起來的四人家族。
從小的時候開始要說起來用自己的一套型,是作為大方手不搭的孩子。
為了健康學習classic ballet,也通過了鋼琴的課。
芭蕾舞喜歡了為了鋼琴的練習的停止了。
成為高中生的話語言學變得有興趣,很好地容易學習玩過了。
寶塚的舞台小的時候看,不過沒有興趣,隔了好久,高中一年的時候被朋友引誘去看了的時候,也認為是與自己沒有關係的事。
然而二個月後又被引誘去,歸途中決定進入寶塚的事。
聽說了想從女兒投考音樂學校的母親,與學校的老師一起拼命反對(面)聽話的事也是吧沒消失,不過,半年以上持續努力的女兒母親的在強行帶走yara沒有的時候說服父親。
喜歡面向應試通過課的時候緊張了的每天。
音樂學校時代也用自己的一套過。
昭和六十三年『接吻·宓·凱特』初登舞台。
女兒敘說用初登舞台以來,和善中也嚴厲的眼看舞台的母親指示現在做「希望不忘記給(對)寶塚託付夢進入了的時候的心情,拼命努力」。


然後是和小小央和狗狗的合照(出自寶塚歌劇1990年3月的120頁)
Star & Pet

(不負責任的翻譯)奇瓦瓦的gonta,稍微是老人,不過,是用二隻腳立著幾十秒的出色人。

 

3 comments

雖然看不到鞋子,不過和小央的媽媽以那個年代來看的話,也真是"高人一等"啊...

痞子's picture

哇,這隻吉娃娃伊定就是和小央在1990年1月號GRAPH「家族介紹」裡面提到他的家族成員之ㄧ,五公斤重的ゴン太ちゃん啦。今天功課作完來把翻譯補上來好了。

﹝嗚嗚,老翰你害偶寫功課不專心﹞

感謝老翰貼的和小央與吉娃娃!這鍋和小央似乎真的從小就是電線桿一支,好像沒有看到像天海大人那種粉可愛的嬰兒肥圓嘟嘟的照片說...

話說回來,那隻吉娃娃還真是大隻啊...八成是和小央自己愛吃,一邊吃就一邊餵狗狗吃,就把一隻小型犬養成了五公斤 exclaim