史上最高のタカラジェンヌ 春日野八千代さん死去…96歳・肺炎 2012-08-30

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宝塚歌劇団の史上最高スターとして活躍した、春日野八千代(かすがの・やちよ、本名・石井吉子= いしい・よしこ)さん=宝塚歌劇団名誉理事=が29日午前10時34分、大阪市内の病院で肺炎のため死去した。96歳だった。入団以来83年間、生涯現役 を貫き、宝塚歌劇団のシンボル的存在だった。最後の舞台は2008年10月24日に兵庫・宝塚大劇場で開催された「宝塚舞踊会」。葬儀は近親者のみで行 い、後日、宝塚バウホール(兵庫・宝塚市)で「宝塚歌劇団葬」(日程未定)が行われる。

 華やかな乙女の園が、深い悲しみに包まれた。これまでも、公演中に体調を崩し途中降板したことはあったが、そのたびに不死鳥のようによみがえり、舞台に立ち続けてきた宝塚の至宝。ついに帰らぬ人となった。

 98年の歴史を誇る宝塚歌劇は4000人を超えるタカラジェンヌを輩出したが、生涯現役を貫き通したのは、天津乙女さん(在団1918年~80 年)、神代錦さん(同29年~89年)と春日野さんの3人だけ。特に、春日野さんは「戦後の宝塚歌劇の復興はこの人抜きに考えられない」とさえいわれた歌 劇団の支柱で、スーパースター。この日の訃報は、現役タカラジェンヌやOGたちに大きなショックを与えた。

 端正で気品のある美しい容姿から「白薔薇(ばら)のプリンス」と呼ばれた。3歳の時、占い師から「将来、芸能界で大成する」と予言された通り、長 年にわたり宝塚歌劇の“トップスター”に君臨。子供の頃は体が弱かったが、小学校卒業後の1928年に宝塚入り。学業優秀で教師からは進学を勧められた が、父親が宝塚歌劇の創始者・小林一三氏を尊敬し、宝塚音楽学校でダンスや日舞を習わせることを願ったからだった。

 入団当初は娘役だったが、当時としては体格も大柄だったため、すぐに男役に転向。類いまれな華やかな舞台姿で、たちまちスターの仲間入りを果たした。

 47年「南の哀愁」などで共演した乙羽信子さんとゴールデンコンビを結成。51年「虞美人」や52年「源氏物語」など歌劇団史上に残る名作に多数 出演し、演出でもその才能を発揮した。人気絶頂期の48年には、名古屋公演終了後にファンが宿舎を取り囲み、市電がストップ。春日野さんが警察で事情聴取 されるという事態にもなったほどだった。

 舞台でもさまざまな工夫を凝らし、男役として初めてつけまつげやパーマをかけたほか、「源氏物語」では衣装にフランスの高級香水「シャネルの5番」をふりかけた。花道を通ると、香水の匂いが客席にも広がり、伝説の舞台としてファンを魅了した。

 49年には現役生徒としては天津さんに次ぐ2人目の歌劇団理事に就任。最後に公の場に出てきたのは、2009年6月15日に宝塚大劇場で行われた「宝塚歌劇95周年記念・『歌劇』通巻1000号記念スペシャル『百年への道』」のトークショーだった。

 ◆春日野八千代(かすがの・やちよ)1915年11月12日生まれ。神戸市出身。28年4月に宝塚音楽歌劇学 校(現宝塚音楽学校)に入学。29年4月「春のをどり」で初舞台。花組、雪組、星組で主演男役を務め、47年「南の哀愁」、49年「ハムレット」、51年 「虞美人」、52年「源氏物語」などヒット作は多数。宝塚歌劇の“戦後復興”に大きく貢献した。49年劇団理事に就任。79年には紫綬褒章、86年には勲 四等宝冠章を受勲。2000年には宝塚市名誉市民第1号に選ばれた。身長162センチ。

[2012/8/30-08:59 スポーツ報知]